昭和43年10月28日 夜の御理解



 今日、善導寺の初代の式年祭の、最後の委員会がございましたから、出席さしてもらいました。いろいろ話の中にぜひあの、献茶のおかげを頂きたい、お祭りの中に献茶の儀式を、神様へ言わば奉納するわけですね。お茶の奉納をする。それにあのぜひあの豊美さんにおかげ頂いてもらいたいということだったから、私そのまま引き上げて帰りました。豊美はちょうどおりませんでした。
 だからあの、今夜お茶の稽古に行っとると言うから、すぐあちらへ電話をかけさせてもらってまぁ本式に献茶ということについての、儀式とかしきたりというものがあるだろから、それを今日はあの聞いて教えて頂くように電話をかけた。丁度間に合うてもろうて良かったんですけれどもね。ほんとはどういうもんかこの合楽は記念品の、あのお抹茶茶碗を偲び草に使われ。
 それを私がお供えすることになり、豊美が献茶のおかげを頂くようになり、お茶道具はこっから貸してくれということだったけれども、もう今から今度は明日はぜひひとつあの、お茶道具を一式をですね、あの奉納さして頂こうと私は思っておったのだけれども、ちょうど今朝の御理解の中にも、私自身がお茶のお供えお茶をお供えしてしまうといったような、あのことを今朝から頂いたんだけれども。
 それが期せずして親教会のこの式年祭に、お茶に、お茶をほんとにお供えしてもらうことになり。しかもお道具まで奉納さしてもらおうということになり、ほんとに何か、今日私、神饌物の打ち合わせに、今日参りましたらもう今日、しお供え物を買いに行って、もうだいたい揃うておりました。それでもう、こちらから神饌物の、まぁ用意しておるものだけぐらいは、お供えさしてもらわなきゃなりません。
 まぁ足りない2、3点足りないんのがあったから、それはなら私がおかげ頂こうということになったんですけれども、どうも道具もやはりそのお茶のお供えをせんなら、道具のお供えもせんならんようなふうにこうなっておる。これは私にとってもお茶は好きな道でありゃ、好きなことでもあるのだけれども、やはりそれを好きなものでも断たせてもらうというところに、修行があるといつも思うのだけれども。
 そういうものを今度の初代の式年祭に、そういうめぐり合わせになって、私もそれを、これを、初代が私に求めておられるもの、こう感じたような気がしたんですけれどもね。やはりあの信心の修行というようなことは、誰でもできる修行だったら、もう修行が修行にならん。やっぱり自分には、もっとその、やはり自分には難しいという修行でなからなければ、修行にならんと思います。そういうおかげを頂いた。
 ( ? )、今日は、いろいろな役割が、あの決まったんです。役割にあった人員があっちに( ? )ならんし、この下駄の、下足預かりを、青年会がおられるので、うちの青年会でおかげ頂こうということになったんです。ところが、あの、あれは下駄預かりは、どうでも私がさしてもらおうと、(?いちぶせいせい)に希望する。そりゃ規制せにゃ、もう、絶対私がまぁおかげ頂くと、こう言うておられる。
 それが私、今まで分からなかったけれども、今日いろいろそういう話聞かしてもらいよってから、はぁなるほど、そうだなぁとこう思うたんです。なぜかというとその、お、お参りになる、そのう、例えば今度の(?修行生)なんかお客さんが多いわけですけども、やっぱり玄関でご無礼があっちゃならない。先生方んでも、お粗末があっちゃならない。あれはもう、下駄ぐらいなもん、少年少女会だけでいいというもんじゃなくて、やはりその責任者の人がですね。
 本当にあのもう入り口で、あの阻喪のないようにするのが、こりゃほんとに、あの考えなきゃならないことなん、そこんところを、(?岸)先生がいつも言われるんだなぁということを今日感じたんですよ。そんで(?岸)先生が責任者で、そして、ここの青年会が、御用だけはさしてもらうことになったんですけどもね。ほんとに、あぁもう下駄扱いは、もう青年会でいいと、いうようなことじゃなくて。
 やっぱりあの、お参りをして来る一番初めのところで、あのその(?)なご無礼なことがあってはならないといったような心がけからすると、信心の手厚くできた人そしてお参りを来る人のことを、よく知って分かっておる人、と言われれば、やはり、下駄扱い( ? )をするものだと言う様な事を、改めて今日は、私感じたんですけれどもね。そういう意味で、まぁ関心さして頂きました。
   どうぞ。